沿革

ページタイトル背景画像
令和3年(2021) 4月 時限措置を解消し、教授の本務所属を社会医学専攻とし、公共健康医学専攻を兼務とすることになった。
平成28年(2016) 4月 社会医学専攻における分野名を「医療情報経済」から「医療情報学」に変更した。
平成25年(2013) 4月 准教授定員1の情報学環・学際情報学府への流動定員供出を終了し、本分野の准教授を本務とする教員定員となった。
平成19年(2007) 4月 東京大学大学院医学系研究科に公衆衛生大学院として公共健康医学専攻(専門職修士課程)が設置され、医療情報システム学分野も担当することになった。これに伴い時限で、教授の本務所属を公共健康医学専攻とし、社会医学専攻を兼務とすることになった。
平成15年(2003) 4月 病院の中央医療情報部と院内措置の整備企画室とが統廃合し、企画情報運営部として設置された。教授、助教授が、同部の教授(部長)、助教授をそれぞれ併任する定員になった。
平成12年(2000) 4月 東京大学大学院情報学環・学際情報学府に医療情報学が設置され、助教授定員1を流動教員として移籍して、院生の受入れを開始した。
平成11年(1999) 4月 医学系研究科に医科学修士課程が設置され、医療情報経済学分野も医科学修士学生の受入を開始した。
平成9年(1997) 4月

東京大学大学院社会医学専攻に属する医療情報経済学分野が設置され、中央医療情報部の教授1、助教授1が大学院を本務とする教官となった。大江和彦教授が第二代教授として就任した。教授、助教授が、医学部附属病院中央医療情報部の教授(部長)、助教授をそれぞれ併任する定員となった。

健康科学・看護学専攻の協力講座「保健医療情報学講座」を兼ねることになった。

昭和58年(1983) 4月

文科省から中央診療施設として設置が認められ、中央医療情報部と名称が変更された。教授1、准教授1が措置された。初代教授として開原成允教授が就任した。

大学院第一基礎医学として大学院博士課程の学生の受入れを開始した。

昭和50年(1975) 4月 東京大学医学部附属病院に院内措置として設置された情報処理部として発足。初代部長として、開原成允(かいはらしげごと)准教授が専任教員として就任した。